無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

あの時、泣きたかったんでしょ

昼に言われた言葉が、夜になっても頭で木霊している。

 

それはとても的を射た批評だった。

言われた瞬間にサッと血の気が引いて、途端に頭に血がのぼるような感覚がした。その感覚だけは覚えている。以降の感情は全く覚えていない。言葉に触れても何も感覚を伝えぬよう、感情のケーブルを取り去ってしまったのだろう。恐らく私はヘラヘラ笑っていた。確かな違和感を覚えながらも、こんなもので傷つくまいと自負があった。

 

馬鹿らしい。あの時、泣きたかったんでしょ。いくら正しいことを言われたとしても、あんたは悲しくて悔しかったんでしょ。悔しさを表に出さなくとも、頭のなかでループする言葉を掴んで衝動のままに何回も刺して刺して、切り裂いてしまえばいい。それさえしないのは、圧倒的に正しい批判に対し「私は理解している」というポーズを取りたい自己擁護だ。

 

正しいものを「正しい」と言いたいし、思いたい。けれど実際にそれを素直に認めるまでには、歪に折れ曲がった腸に言葉を入れて溶かし、一部を吸い取って、養分にするプロセスがある。これは瞬時には出来ず、時間がかかるのだ。受け止めるまで「プライド」「思い込み」「勘違い」というフィルターが過剰に働いて、怒りや必要以上の自己批判というアレルギー症状を生み出す。

 

「私は大人なのだから正しさの前には従う僕たれ」と頭で決め込んでいるが、心はどうだ。今や痙攣して泡を吹く心を見ながら「正しさの前には従え」と綺麗な洋服を着て話すお前は美しいのか。殺された心が三途の川に渡る度に、ひとつひとつ川底に落としてきてしまった情熱やら哲学やら思想は、もう戻ってこない。いつか全て持たない、何者でもないモノになることにも気づいている。

 

悲しい時には泣いてしまえばいい。たとえ、その悲しさが人に理解されなくてもいい。甘えだと言われてもいい。いつか悲しいとも感じなくなる前に自分のために泣いてしまえ。あの時泣けたらよかったね、と嘲笑する自分になる前に。