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無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

スマホばかり見て何が悪い

最近の若い子はスマホばかり見て…、と聞くけれど、スマホばかり見るのはそんなに悪いことだろうか。

 

電車でふと周りを見ると、みんなスマホを覗き込んでは思い思いの時間を楽しんでいる。あるCMでは、そんなものを見ずに桜を見に旅に出ようと訴求するが、私たちは毎日スマホを見つめる時に、桜のような非日常を求めてはいない。毎日の隙間に落ち込んだ、楽しい日常の何分かを手で掬い取っている。

 

もしスマホで見ているものが、遠くから送られてきた姪っ子の写真や、家事の隙間を縫って送られてくる赤ちゃんの写真だったとして。彼らは狭く詰められた鉄塊のなか、やわらかな温もりを思い出しているのではないだろうか。液晶から照らされた人工的な光であろうと、彼らにとって光であることには変わりない。

 

全員がスマホを見つめる姿はもしかすると不気味に見えるのかもしれない。何故なら、彼らが何を見つめて、何を楽しそうにしているのか、観測者からは予想もつかないからだ。

今までは新聞や雑誌、漫画など、何を読んでいるのか分かるモチーフがあった。それらを車中読んでいたとしても、観測者は彼らが何を読んで、どんな状況なのか推測することができた。

一方でスマホはどうだろう。何を読んでいるのだか、何を見つめているのだか、そもそも何をしているかさっぱり見当もつかない。中にはスマホを見てニヤニヤしたり、食い入るように見つめる人もいる。観測者にとっては、何をしているのか理解できず、不気味この上ない。

 

理解できない違和感を、「スマホばかり見て」という言葉に当てはめた時、私たちはきっと楽になった。他者の行動を想像する力を忘れて、気味が悪いと割り切ってしまえば、これ以上考える必要がなく、楽になるのだ。

 

スマホばかり見て」という言葉を、若者をなじる言葉に使い始めたら、より楽になった。若者らしい品のない行動とすることで一律に否定できるようになったからだ。条件反射のように否定しても自らが責められる立場にならなくて良いのは非常に楽な話だ。

 

しかし、もう一度考えてみよう。私たちはスマホで何をしているのか。何を待ち受けにして、誰とLineして、誰の写真を保存しているのだろう。きっとスマホのなかにはデータ分の愛情が詰め込まれている。私たちは疲れ切った毎日のどこか、ほんの数分の間にそれを見ては、彼らしか与えてくれないエネルギーや元気を貰って、また現実に戻る。

 

スマホばかり見て、なにをしているのだろう。きっと私たちは笑顔になるためにスマホを覗く。