無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

本当にあったFacebookの恐い投稿と、有用性について

Facebookで誕生日祝わなきゃいけない文化あるじゃないですか。

Facebook開くたびにもう疎遠になった人たちの誕生日を知らされて「おめでとう言うレベルでもないしな…」と思って放置しておくと、案外多くの人が反応しておめでとう、と書いているアレのことなんですけど。あとになって、書いた方がいいのかな?と思うと同時に「お前みたいな疎遠なやつに書かれても、返信困るから書いてきてんじゃねえぞこの根暗野郎!」とか「知り合いぶってんじゃないわよ、お前の箔付けで友達面して書いてんじゃないのかこの根暗野郎!」とか心で罵られるんじゃないかと思い、何もできずただそこで立ちすくむやつ。

 

私みたいな根暗のコミュ障に「おめでとう」とわざわざ書いてくれる人は稀有で、本気で「ありがとうありがとう」と朝日差す方向に拝んでるんですけど、誰が書いたかとか3日後には忘れてるんですよ。ほんとトリ頭って私のために生まれてきた言葉なんじゃないかなって思います。単語生まれてきてありがとセンキュ。それはどうでもよくて、そんなコメントの数を毎年メモしてる人がいたんですよ。

 

なぜそれが分かったかというと、その方が自分でFacebookに書かれていたからです。「去年は友達X人中、Y人が書いてくれました。その前はX人中Y人、そして今年はX人中、Y人が書いてくれました!」みたいな。アンケートの集計結果かと思ったら誕生日に友達が何人おめでとう言うてくれたかの報告で恐怖と同時に執念を感じました。集計結果を発表されると「この人と友達のステータスだから書かないといけないのかな」というプレッシャーさえ与えてきます。すごい。ハッピーな報告に見せかけた圧がすごい。

 

もっと恐いのが、その投稿に対してものすごい沢山のいいねが付いてるんですよ。ほんま何のいいねやねんと。自分を友達として認識してくれている人が、自分というアカウントに対し一つのターゲット、ないしは数値目標としか捉えていないことに何のポジティブな感情を生み出したのか全く理解できませんでした。

 

大人は「いいね!」と心から思わずに「見ましたよ」「一応認識してます」みたいな意味合いでもいいね!をすると聞きました。そう考えると「わ〜なんかヤバいこと言ってるけど、とりあえずいいねしとくか」みたいな感じで反応しているのかもしれませんね。それでも絶対そのいいねは心を蝕んでると思います。いいねはGoodなんだから!ほんまにGoodと思ったことだけにいいねしなよ!アンタが一番傷ついてンのアタシ知ってる!

 

友達イズ社交になった人のアカウント見ると、綺麗な心まだ持ってるなと思えます。ソウルジェムが濁ってないこと思い出したいときに、やばいアカウントは有用です。Facebook嫌なら見るなって人多いんですけど、こういうのに気づかされることは大事なんで最高のFacebook見ていきましょう。