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無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

おんなの幸せについて考える年齢になった

Facebookを見ると、結婚だの出産だのついでに離婚だの、そういう話題をよく見るようになってきた。

 

大学生のころと比べて、まったく異なるタイムラインになってしまった。昔は競うように旅行の写真とか、「ワシ大学生をエンジョイしてますわ」という写真があがってきていたのに。最近ではもっぱら、結婚だの結婚だのこどもが1歳になりましたとかいっちゃって、人生積み重ねてる感じがすごい。すごいよ本当に。私がニコニコ動画見てる間にきみたち何してるんだ。

 

一方で、「会社そろそろ辞めたいわ」という人も結構出てきた。私が会社やめているからだろうか。「辞めたい」とぽろぽろ話し始めては辛そうにしている。そこで話に出るのは、結婚するのか否かという話だ。

 

就職の逃げ道として結婚をしたい、といえば聞こえは悪いが、労働は楽しくともつらいし、それが結婚という免罪符で逃れられるならば、それも手としてアリだろう。彼氏という伏せカードをオープンにしてしまう時期だ。きみたちには彼氏というエンジェルがいるのだから大いに活用すべしと提言するが「結婚もね〜……、しちゃうと大変だし」と言う。煮えきれない! いいか、逃げるやつは腹をくくって逃げろ!

 

「結婚が大変」というワードは「ガルパンはいいぞ」というワードと少なからず共通項がある。資金面や遊び面、こども作ると面倒など、いろんな懸念材料があるが正直それは経験してみないとわからん話だ。現実味がなく、また自分の意見ではない。世の中の一部の意見を切り取って我が物にして発言していることが多い。ガルパンもそうだ。様々なオタからの意見をとって、総括して「ガルパンはいいぞ」と言っている様は「結婚は大変」に通じるほど、軽くてふわふわしている。

 

女に生まれし者は一度は通っているだろう。女の話は、空気に漂うほこりを食べる様に、雰囲気として漂うものだ。話の四肢は空気中で霞となって消えたり、時にうかんだりする。スタンドよろしく漂う話のかけらを、オラオラオラと殴りつけることでコミュニケーションをとる我々だが、話の根幹ではどこか迷いがある。

 

26歳になる我々だ。結婚して労働から逃げ切りゴールか、労働に勤しみ一人で死ぬゴールか、もしくは結婚しつつも労働にも邁進するゴールか。そろそろ自分の墓場のことを考える時期になってきた。

 

おんなの幸せとは個人の絶対評価ではなく、社会と比較した相対評価だ。彼女たちが自分の幸せを選ぶのではなく、選ばされている。そのため、彼女たちの周囲の状況に依って、最適とされる「幸せ」を選びがちだ。

 

幸せという言葉は、呪いでもある。幸せ、という言葉の存在から、「幸せ」にならねばならぬという意識が生じる。「幸せ」は国で定義されているものでもないから、先人たちが幸せと形容したものこそ「幸せ」だと認識している。26歳になって、これから先の人生を見たときに、なにをすれば幸せになれるのか選ぶ岐路についているのだ。

 

なにを選ぶか、その選択をする前に、なにが幸せかを定義しよう。恥ずかしながら私の場合は、年収400万円で毎月5万円貯金できる定職があることが幸せだ。結婚なんかしたくない。お金と漫画とインターネット、時々お酒があれば幸せだ。