選択肢無く食べる晩ごはん
何食べたい?と聞かれて、なんでも〜と言えることは幸福なことだ。
現在わたしは選択肢なく晩ごはんを食べる。家にあるレトルト食品を食べる。今日は実家から送られてきていた、うどんを食べた。
本当はおうちで作った野菜たっぷりのカレーが食べたい。じゃがいもが少しとけて、全体的にどろっとしている、あのカレー。味自体に安心感のある、あのカレーを食べたい。
けれども野菜は高いし、肉も高い。クラピカの鎖のように私を蝕む、金!銭!感!覚!
そもそも1人で食べることは苦行に近い。何を食べたいか?それは自分に問いかけたって特に出てこないのが常だ。答えがないからだ。あなたは何になりたい?と同じようにぼんやりした輪郭しか見えないのに、答えは明確なものを要求される。
もしもお金があり、また共に食べる人がいたなら相談して決めたりすることができる。1人は何にもない自分のなかから見つけ出さなければいけない。禅問答のように己のなかに己を見つけるのだ。
その苦行から解き放たれ、何が食べたい?と聞かれてなんでもと答える甘さと、受け止められる優しさ。私はそれに羨望の眼差しを向けながら、安いうどんをすするのみだ。