無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

Facebookの幸せな投稿にdislikeをする勇気

Facebookのいけないところは、幸せな毎日を褒めあう空気感を演出しているところにあるんじゃないかしら。

 

私みたいな独居の24歳女(彼氏無し)には、あなたたちの毎日は輝かしくて時々見ていられない。「オープンな関係になった」なんて知るかと思いますし、あなたたちが休日BBQしてハッピーなことも、おいしいお肉を食べてご機嫌なことも正直、時々は「めんどくさ」と思うの。ごめんなさいね。

 

だから前々から「うるさいね!」とか「お気楽だね!」とかいろんな「いいね!」に対抗することを考えていたんです。

 

そしたら今日、Facebookから「ひどいね」ボタンの導入を行うとのニュースが流れてきました。

japanese.engadget.com

 

「ひどいね」

そうだった。ひどいんですよ。あなたたちはひどい。非道なんですよ。

本来はこのボタンが悲しいニュースに共感するために導入された、ということはわかっています。けれども、個人の立場や環境によって「ひどいね」と思わざるを得ない時ってあると思いませんか?それが醜い嫉妬や偏見で生まれたものだとしても、これは純粋な「ひどいね」という気持ちです。

 

例えば、デートの写真。

ぼちぼち顔が整った同士のカップルのデート写真を見て、別に美しいとも和みもしません。純粋に「ひどいね」と思います。

なぜならば、彼らが恋愛フィルター越しに世界を見ているので「こんな写真を投稿してもきっとみんな褒めてくれる」と思っている、その勘違いがひどいのです。

 

どこにご飯いっただの、旅館泊まっただの、どうしてカップルはデートの追体験を独身(彼氏無し)にもさせるのか。そしてその上で何を承認してほしいのか。そう、それはFacebook内では幸せな毎日を褒めあう空気感があるから、私たちのこんなちんけな写真も褒めてもらえるという、悲しい勘違いを生んでいるからこそ起こってしまった悲劇なのです。

 

そう考えると、カップルは悪くないのです。

この空気感を生んだサービス、つまりはFacebookが悪いのです。

もっというと、Facebookの空気感が良くないのです。

 

この空気感を打破するためには、Facebookの幸せな投稿にdislikeをする勇気を持たねばならぬのです。

淀んだ空気を排出するために、窓をあけるように。

誰にとっても、どんな視点から見ても平等で、そして投稿者の承認欲求が満たされる平和なSNSになるように。

 

しょうもないデート写真、ハッピーでとりあえず大人数いる飲み会写真、手作りおうちごはんでおしゃれで丁寧な暮らしの私を演出している写真。

それら全てに「ひどいね」と言えるように、サービス導入までに心の準備をしておく必要があります。

 

詳しくいうと、誰に嫌われてもいいくらいの鋼の心を準備しておく必要があります。例えば、こんなブログを書いて人様に嫌われる下準備をしておくのもありだと思います。