無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

女のクズがたくさん見れる「東京女子図鑑」がやばすぎる

女にも大小様々なクズが存在していますが、優しい私たちはクズを見ても「こいつはクズ」と切り捨てることができません。クズの流れは強く、私たちは濁流に飲み込まれる葦よろしく、流されても踏まれても持ち前の精神力で持ち直すことを押し付けられています。しかし、もしクズのパターンを知っていればどうでしょうか? 2017年はもう女のクズに付き合いきれるほど時間も金も余っていないでしょう。

 

そんなみなさまには本日「東京女子図鑑」をおすすめしたい。こちらはみんな大好きAmazonプライムにて視聴していただけます。

 

東京女子図鑑のやばさ「主人公がクズ」

主人公「綾」は秋田生まれ秋田育ち。夢は無く、ただ「人に憧れられる存在になりたい」という思いから、就職を機に東京さやっできだ。ここでやばいのは、女性が憧れるものを手にしたいという原動力だけで東京にまでやってきてしまう綾の頭すっからかん具合です。銭勘定が出来ず夢を食って生きているため、新卒で月給21万円にもかかわらず青山一丁目で7万以上の物件を探し歩くという暴挙もやってのけます。甘やかされて育った田舎の女はすごい。

 

東京女子図鑑は主人公「綾」の年齢に合わせて、住む場所が変わります。最初は三軒茶屋、その次は恵比寿…となんとなく生活が上質になっていくように描かれています。場所と生活の質を紐付けている部分も非常に頭すっからかんでよろしい。特筆すべき頭すっからかんポイントは、30歳までにデートで連れて行ってもらえたら良い女とされる(らしい)念願の「ジョエル・ロブション」にデートで行けることが決まり、ジョエル・ロブションに行くための服を買う際にリボ払いを選択する部分です。

今まで何人の無謀な学生がリボ払いに泣いてきたのでしょうか。世界からリボ払いと戦争が無くなれば何人の笑顔を増やせるのかと思うと切なくなります。リボ払いを恐れず使う主人公の綾•28歳(新ブランドのPRマネージャー)は大人になっても金勘定ができないままなのです。

 

もしも綾がただの頭すっからかんならばクズとは言いません。

綾は三軒茶屋で知り合った、偶然にも同郷の彼氏との安定した幸せを「こんなの秋田でもつかめる幸せだ」と唾棄してしまうのです。彼氏いない歴8万5千年の私はこのシーンを見たことで、歯を食いしばり過ぎて歯茎から血が出ました。本当にありがとうございます。綾のクズの根深さは、自分の住むとこ・仕事・付き合う人・幸せを選ぶ基準が全て「世間の女が言う幸せ」に照らし合わせて選択されている部分にあるでしょう。そのため、いくら周りの人が愛情をかけても「それは羨ましがられない」と思えば一瞬で捨てられてしまうのです。

 

綾のクズさが霞むくらいに周囲もクズ

不思議なことに「東京女子図鑑」を見ていると、主人公・綾のクズさが気にならなくなるんですよ。なんでかと言うと、その周囲が綾を超えるくらいにアレなアレだからです。

 

会社の同期同士で足の引っ張り合いをする女たち。同期を貶めたくて興信所まで使う女。一緒に合コンまで行っておいて、主人公にハイスペックな彼氏ができると悪口を言う同僚。28歳の女を捕まえておいて「結婚する気はない」と言ってのける男……。香ばしい! 今4話まで見れるんですけど、その中でこいついいやつだなと思ったのはわずか2名で、なおかつちょい役でした。

 

本当、見てみてください

別に私Amazonプライムの回し者でもありませんし、東京カレンダーの回し者でもありません。人様の靴をなめて2銭もらうしがないその日暮らしなので何も関係ないんですけど、周りに「東京女子図鑑」見てる人を増やしたいだけなんですよね。女のある一定数は肩書きや、世間一般の幸せにどれだけ価値観を依拠しているのか、それがどうしてマウンティングに繋がるのか何となく伝わるドラマだと思います。同時に、自分のなかで一体なにが幸せなのか見つめ直す契機にもなるでしょう。ぜひ「東京女子図鑑」を見て「これがマウンティング…。このマインドは綾…。」と戦慄してください!

本当にあったFacebookの恐い投稿と、有用性について

Facebookで誕生日祝わなきゃいけない文化あるじゃないですか。

Facebook開くたびにもう疎遠になった人たちの誕生日を知らされて「おめでとう言うレベルでもないしな…」と思って放置しておくと、案外多くの人が反応しておめでとう、と書いているアレのことなんですけど。あとになって、書いた方がいいのかな?と思うと同時に「お前みたいな疎遠なやつに書かれても、返信困るから書いてきてんじゃねえぞこの根暗野郎!」とか「知り合いぶってんじゃないわよ、お前の箔付けで友達面して書いてんじゃないのかこの根暗野郎!」とか心で罵られるんじゃないかと思い、何もできずただそこで立ちすくむやつ。

 

私みたいな根暗のコミュ障に「おめでとう」とわざわざ書いてくれる人は稀有で、本気で「ありがとうありがとう」と朝日差す方向に拝んでるんですけど、誰が書いたかとか3日後には忘れてるんですよ。ほんとトリ頭って私のために生まれてきた言葉なんじゃないかなって思います。単語生まれてきてありがとセンキュ。それはどうでもよくて、そんなコメントの数を毎年メモしてる人がいたんですよ。

 

なぜそれが分かったかというと、その方が自分でFacebookに書かれていたからです。「去年は友達X人中、Y人が書いてくれました。その前はX人中Y人、そして今年はX人中、Y人が書いてくれました!」みたいな。アンケートの集計結果かと思ったら誕生日に友達が何人おめでとう言うてくれたかの報告で恐怖と同時に執念を感じました。集計結果を発表されると「この人と友達のステータスだから書かないといけないのかな」というプレッシャーさえ与えてきます。すごい。ハッピーな報告に見せかけた圧がすごい。

 

もっと恐いのが、その投稿に対してものすごい沢山のいいねが付いてるんですよ。ほんま何のいいねやねんと。自分を友達として認識してくれている人が、自分というアカウントに対し一つのターゲット、ないしは数値目標としか捉えていないことに何のポジティブな感情を生み出したのか全く理解できませんでした。

 

大人は「いいね!」と心から思わずに「見ましたよ」「一応認識してます」みたいな意味合いでもいいね!をすると聞きました。そう考えると「わ〜なんかヤバいこと言ってるけど、とりあえずいいねしとくか」みたいな感じで反応しているのかもしれませんね。それでも絶対そのいいねは心を蝕んでると思います。いいねはGoodなんだから!ほんまにGoodと思ったことだけにいいねしなよ!アンタが一番傷ついてンのアタシ知ってる!

 

友達イズ社交になった人のアカウント見ると、綺麗な心まだ持ってるなと思えます。ソウルジェムが濁ってないこと思い出したいときに、やばいアカウントは有用です。Facebook嫌なら見るなって人多いんですけど、こういうのに気づかされることは大事なんで最高のFacebook見ていきましょう。

SNSの上で殴り合うおんなたち

SNS上で殴り合うおんなについて

 

めんどくさい女なんてのは存在せず、女は全部めんどくさい。

 

女は女を呼ぶわけで、女の友達は女。男から見れば女の社会は「こわそう」「悪口すごそう」とかそういう一側面しか見えないみたいだけど、女ってもっとめんどくさくて、悪口言ってもその女のこと本当に好きだったり心底憎んでたり羨望してたりする。対面でこれだけめんどくさいのに、ましてや非対面となるとその術式は複雑怪奇。女にFacebookInstagramを与えてから、21世紀はもっと複雑になった。

どんな投稿が「殴り合い」か

 

FacebookInstagramは見栄のSNSだ。毎日の毎秒を他人に承認されていたい。Facebookでは社会的に成功している自分を、Instagramでは私生活で充実してる自分を見せる。直球で自慢なんてしなくていい。ダイイングメッセージみたいに、正方形にトリミングされた画像のどこかに幸せのひとかけらを置いておくだけで良い。幸せな誰かが自分のことを同じく幸せな仲間だと思って、選んでくれる。

 

Instagram

他者と幸せを共有している様子を見せることだ。

 

例えばごはんをつくりました!と言って手作りごはんの写真を投稿するとしよう。この時重要なポイントは、ごはんが二人分あることだ。

 

本当に手作りごはんだけ見せたいのならば、「いかに美味しそうに撮るか」ということを主眼において撮影するだろう。ごはんの向こう側にいる何かを想起させる風景は撮らなくていい。しかし「ごはんなんかどうでもええんや、私がごはんを作る相手がいるのが重要なんやで」という撮影をしていれば、それは幸せのシェア。それがどんな「幸せ」なのかは、ご想像におまかせしますというものだ。

これは殴り合いのなかでもストレート。顎にパンチをくらわして速攻でダウンを取ろうとするものに入る。

 

Facebook

 

権威付けをすることだ。

 

「〜さんと一緒にいます」「こんなイベントにきました」「こんなもの食べてます」など、他人の威を借りることで、なぜか投稿者も「すごいね」「成功してるね」と見せることができる。これはボディにじわじわダメージを蓄積させるタイプ。

 

この他、ライフイベントやステータス変更で印象づけも重要である。Facebookのステータス変更は顕著な例だ。「交際中」に変更することで花火をぶち上げるパターンをいくつか見てきた。本人は「Facebookの基本データを変えただけ」とひっそり自慢をしているつもりが多いが、そんなことはない。アレはわりかしいいねやコメントがつくんで何回もタイムラインに入り、むちゃくちゃ目立つ。いいか、あれはむちゃくちゃ目立つ。腹をくくってするように。

 

殴り合っても嫌いじゃない

「そんな投稿見たくないなら、見なければいいじゃん」と思うだろうが、別に女たちはそれが嫌いなわけでもない。他者のそういう話は好きでもあるし、嫌いでもある。女たちは、投稿者の意図も理解できるからこそ女たちを憎しむと同時に、愛しく思う。

 

自分の幸せに浸っていればいいものを、「自分は幸せですよね?」と他人に承認されなければ安心できない、可哀想で可愛い女たちと分かっている。時にその意図のなかで期待されている通りの反応もしよう。しかし時には裏拳で殴らせてほしい。そんなことは両者の立場が入れ替わろうとも入れ替わらずとも、わかりきった話なのだ。

 

女はこの先ずっとSNSで殴り合うだろうけど、きっと殺しはしない。なぜならめんどくさい生き物なのだから。

 

女子高生最強説

いままで女性でいたけれど、その女歴のなかで一番どの時期が最強だったかといえば女子高生が最強だと思う。

 

現在26歳のわたしは生まれてこのかた性別・女。趣向も普通に女。見た目も女。26年の女歴と書けばなかなかにベテランではないだろうか。もはや職人。わたしは女の職人だ。アマチュアをぬけて、職人の域に到達した私は過去を振り返る。高校生のころが、女として最強だった。

 

女の価値を、女本体の価値と市場価値によって決まるものとしよう。女本体とは、それの性格であったり能力であるもの。市場価値とは、その女の見た目や年齢、外的に判断できるすべての価値を指すことにする。

 

女本体の価値で考えてみよう。体も皮膚も劣化することなく、モツのようにプリプリ。また「努力すれば報われる」という純粋無垢な精神を持っていたため、精神的に向上心があり、非常に真面目で素直であったと思う。最高じゃん。高校生であったとき、「今死んでもいい」と思うくらい毎日に満足していた。その8年後だかそれくらいに、逃避するために死にたい…と思うことも知らぬ高潔。渋谷西口の路地裏で人の靴をなめて10円もらう生活なんて考えてもいない。

 

次に、市場価値について考えよう。女子高生というものは、女子小学生や女子中学生よりも手が出しやすい。というのは、手を出したところでロリコン!と罵られないギリギリのラインだからだ。さて、女子大生といえば一般的だが、女子高生となるとそうでもない。女子高生と付き合えば「女子高生と付き合ってんの!」と驚きや羨望の眼差しで見られることが多い。ロリコン扱いもされず、さりとて一般的でもない受け入れられる非日常は女子高生である。

 

女本体の価値と市場価値で考えたときに、最高点数をつけるのは女子高生時代だ。

 

女子大生は怠惰の極まり。OLは日々を忙殺させて磨耗した。フリーになってからは存在がひたすら希釈されて、そこあたりに漂うだけとなった。自転車で突き抜けていく女子高生を見るたびに「今のお前たちが最強……!」と思う。

 

よく女子高生で「はぁわたしってブサイクだしもうしのう……」みたいないわゆる病みツイートみてると本当にもったいないと思う。マジレスすると、あなたが経年劣化していって、生まれもったその顔がブサイクからもっとブサイクになったときに、それはどんな選択ができるの。今が最高なの。

 

早々に頂点をとった私たち女は、もっとまざまざと自分の価値を理解したときにはもう、周りにあるもので殴り合いをするしかない。例えばSNSで生活をアピールして承認されて生きて行くしか、付加価値を出して行くしかない。そこからは女の価値の格差が起きていくものだ。女子高生はマダンテ。MPを使い切ったのちに見る地平線では、有象無象がひしめき合う衆合地獄だ。ああ女子高生は最強。女子高生みたいに高いところで綺麗な空気だけ吸って氷になって死にたい。

 

NMB48のみるきーの卒コンみて思ったこと

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

付き合って5年が経った。はじめは勢いで付き合ったような僕たちは流れのままに同棲を始めた。おんぼろアパートだけど、部屋は少し広めの14畳。家賃はそこそこで、2人で暮らしていくには十分だ。同棲を始めた時に頼子が買ってきたガジュマルは隅っこで埃をかぶったまま存在を消している。

 

数年前まで、本当に支えあって生きていた。二人ともそれなりの会社に勤め始め、慣れないスーツに着られながらも満員電車に詰められては、運搬されて出荷されていく。僕は毎日つまらなく苦しい労働をしながら、頭のどこかで頼子のことをいつも思っていた。帰ったら頼子とごはんを食べながら、愚痴の言い合いをしようとか。週末のデートの予定を立てようとか。こんな暮らしが終わりなく、死ぬまで続くことが僕の夢だったのかもしれない。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

ある日「会社辞めてきたから」とクタクタになって帰ってきた僕を見ずに、リビングの向こうから頼子は言った。少し驚いたけど、頼子は前から「会社にいくのやだ」と何回も言っていたし、僕はそれでいいと思った。「そのうち働くから」と言う彼女に「せっかくだからゆっくりしなよ」と声をかけたのは僕だった。その週末、箱根に温泉旅行に行き、小さなお祝いをした。その日から頼子は家にこもり、今までパートも就職活動もしないまま、1年が過ぎた。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

暇を持て余した彼女の過干渉に、僕は飽き飽きしていた。勤務時間中も関係なく、応答セヨと鳴るLINEも電話も怖くて、わざと家に携帯を忘れたりした。疲れて家に帰れば「なにしてた、誰と話した」と詰問され、眠り落ちるその瞬間まで会話しなくてはいけない。数年前まで、心の支えとしていた頼子は僕のなかで。いつからそうなったんだろう。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

僕は玄関で立ったまま頼子が泣きじゃくっているのを見ている。早くこの汗でまみれたスーツを脱いでしまいたい。お前が泣こうが、どうなろうがもうどうでもよくて。明日もあさ早いから、はやくごはん食べてねる準備しなきゃ。

 

「仕事は、しなきゃいけないからね」「なら、私より仕事っていうわけ!?」「きみがそう言うなら、そうなのかな。」

 

というように、無駄に自己評価を下げにいく女っていると思うんですけど、これは誘導尋問みたいなもので結局おまえのほうが大事だよって言葉を引き出して自信を持ちたいだけの打算ですよね。わたし可愛くないから、いやいや可愛いよ、とかそういうやりとりも多分相手が疲れてない限り許されるのかもしんないですけど、世の中だいたいの人が疲れているんで、このやりかたって今に合ってないと思うんですよ。だからね、もう今の世の中、いやもしくは過去から今まで貫いてそうなのかもしれないけど、自信もったおんなのほうがモテるし好かれるし愛されるんじゃないかなって最近NMB48みるきーの卒コン見てて思いました。かわいいは自己研鑽で、つくれる!

 

 

 

【実家の自営業が暇すぎるので忙しくしよう】荒野で石を拾う

実家の自営業が暇すぎて、生活の邪魔をされる

フリーでライティングのお仕事をしているのですが、その実情は無職。実家に帰省、いえ、寄生する毎日です。

 

さて、そんな私ですが少ないながらも仕事をしております。パソコンに向かってポチポチやっている様子は、家族から見ると遊んでいるように見えるそうで、何かと邪魔をされて本気でイライラします。ものすごい邪魔をされるので、なんでか? と考えていたところ、実家の自営業が暇すぎる、ということが原因であろうと思い当たりました。この邪魔を無くすには、自営業を忙しくする必要がある、という結論に落ち着きました。

 

実家は看板業をやっています。「徳島 看板」で検索するとGoogleにて検索順位 1位で表示される好条件でありながらも、娘の邪魔をする時間があるほど暇なのです。暇であることに問題意識は持っているようですが、今まで営業の1つもやらずにここまで転がってきたので、どうすればいいのかわからず立ち止まっている状態です。

 

情報を収集・整理する

 

父と母と、1人の従業員で構成されている非常に小さな会社です。そのため、ホームページがどうなっているとか、どれくらい更新されてないとか、ホームページのコンテンツにどんなものがあるのか把握していない状態です。施作を立てるための情報が欠如していたので、まずは情報収集と、その情報の整理が必要であると考えました。

 

情報が混雑しています

 

まず見込み客になる数字を把握しようと思い、Google Analyticsの状況を確認することにしました。会社で1つのGoogleアカウントを使いまわしているので、そのアカウントからレポートを見に行くと、レポートが存在しなかったのです。

 

ここで「GAを突っ込んでないんだ」と思い、ホームページを作成された会社に問い合わせることに。すると、「FTPのパスをそちらで変えられているようで確認できず」とのことでした。地獄……! なんと、情報がきちんと整理されていなかったので、FTPのパスも、そもそもホームページのデータがどこにあるかもわからない状態だったのです。誰もホームページを管理してないとこうなるんだな、としみじみ感じました。

 

このタイミングで従業員の方が、過去にもう1つのGoogleアカウントで、このパスワードでなんかやったみたい、ということを教えてくれました。Googleアカウントがなぜかもう1つ出てきました。掘れば掘るほど闇。

 

該当アカウントでログインし、GAを確かめたところ確かにレポートは表示されていました。データを確認すると2009年からタグ設置されていたようです。どうしてそれを誰も見てないんだ! 設置して満足してんじゃねぇ! 

 

オーガニックサーチに依存した集客

 

GAを紐解いていくと、全体のトラフィックに対して6割もの集客がオーガニックサーチに依存していることがわかりました。デイリーの集客がドチャクソ低いことを問題とし、オーガニックサーチに依存している状態が原因であると仮説を立て、まずはチャネルを多くすることを解決策として考えました。あとはそのためのDoを増やしてみるか、と当面の目標を立ててみました。

 

顧客データベースもない

 

Doを増やすにあたって、ソーシャル周りの整備の前に、メールマーケティングをやるか、と考えました。看板業という職種柄、あまりインターネットらしいことをやっても効果が薄いのでは? という感覚的判断からソーシャル系の優先度を下げることにしたのです。メールのほうがまだ効果が出て、なおかつ自分としても検証しやすいという気持ちがあったのです。

 

そこで、「メールを送るから顧客のリストほしいんだけど」と父母に告げると「そんなものはない」と一蹴されました。データベースは無いだろう、ということはなんとなく察していたので挫けず、「いや、エクセルとかで管理とかしてんじゃないの?」と聞きました。「エクセル?」と母がMac上でエクセルを探すと、なんとゴミ箱にエクセルがありました

 

いや、なんかこう、インターネットの会社に勤めてたのでわりとそういう甘えがあったと思う。情報は管理されてるし、整頓されてるって甘え。一般社会ではこういう状況が吐いて捨てるほどあるんだなって。いや〜まさかエクセルがゴミ箱にあると思わないじゃない。アドビが入っててエクセル入ってないってすごくない? いやすごいよね。

 

結構心にグッとくるものがあったんですが、とりあえず今から過去の紙伝票みながらリストを作ってみようと思います。ちなみにこの労働はサービスであり、無給です

 

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おんなの幸せについて考える年齢になった

Facebookを見ると、結婚だの出産だのついでに離婚だの、そういう話題をよく見るようになってきた。

 

大学生のころと比べて、まったく異なるタイムラインになってしまった。昔は競うように旅行の写真とか、「ワシ大学生をエンジョイしてますわ」という写真があがってきていたのに。最近ではもっぱら、結婚だの結婚だのこどもが1歳になりましたとかいっちゃって、人生積み重ねてる感じがすごい。すごいよ本当に。私がニコニコ動画見てる間にきみたち何してるんだ。

 

一方で、「会社そろそろ辞めたいわ」という人も結構出てきた。私が会社やめているからだろうか。「辞めたい」とぽろぽろ話し始めては辛そうにしている。そこで話に出るのは、結婚するのか否かという話だ。

 

就職の逃げ道として結婚をしたい、といえば聞こえは悪いが、労働は楽しくともつらいし、それが結婚という免罪符で逃れられるならば、それも手としてアリだろう。彼氏という伏せカードをオープンにしてしまう時期だ。きみたちには彼氏というエンジェルがいるのだから大いに活用すべしと提言するが「結婚もね〜……、しちゃうと大変だし」と言う。煮えきれない! いいか、逃げるやつは腹をくくって逃げろ!

 

「結婚が大変」というワードは「ガルパンはいいぞ」というワードと少なからず共通項がある。資金面や遊び面、こども作ると面倒など、いろんな懸念材料があるが正直それは経験してみないとわからん話だ。現実味がなく、また自分の意見ではない。世の中の一部の意見を切り取って我が物にして発言していることが多い。ガルパンもそうだ。様々なオタからの意見をとって、総括して「ガルパンはいいぞ」と言っている様は「結婚は大変」に通じるほど、軽くてふわふわしている。

 

女に生まれし者は一度は通っているだろう。女の話は、空気に漂うほこりを食べる様に、雰囲気として漂うものだ。話の四肢は空気中で霞となって消えたり、時にうかんだりする。スタンドよろしく漂う話のかけらを、オラオラオラと殴りつけることでコミュニケーションをとる我々だが、話の根幹ではどこか迷いがある。

 

26歳になる我々だ。結婚して労働から逃げ切りゴールか、労働に勤しみ一人で死ぬゴールか、もしくは結婚しつつも労働にも邁進するゴールか。そろそろ自分の墓場のことを考える時期になってきた。

 

おんなの幸せとは個人の絶対評価ではなく、社会と比較した相対評価だ。彼女たちが自分の幸せを選ぶのではなく、選ばされている。そのため、彼女たちの周囲の状況に依って、最適とされる「幸せ」を選びがちだ。

 

幸せという言葉は、呪いでもある。幸せ、という言葉の存在から、「幸せ」にならねばならぬという意識が生じる。「幸せ」は国で定義されているものでもないから、先人たちが幸せと形容したものこそ「幸せ」だと認識している。26歳になって、これから先の人生を見たときに、なにをすれば幸せになれるのか選ぶ岐路についているのだ。

 

なにを選ぶか、その選択をする前に、なにが幸せかを定義しよう。恥ずかしながら私の場合は、年収400万円で毎月5万円貯金できる定職があることが幸せだ。結婚なんかしたくない。お金と漫画とインターネット、時々お酒があれば幸せだ。