無欲、それは苦しい

26歳OL一人暮らし

女子高生最強説

いままで女性でいたけれど、その女歴のなかで一番どの時期が最強だったかといえば女子高生が最強だと思う。

 

現在26歳のわたしは生まれてこのかた性別・女。趣向も普通に女。見た目も女。26年の女歴と書けばなかなかにベテランではないだろうか。もはや職人。わたしは女の職人だ。アマチュアをぬけて、職人の域に到達した私は過去を振り返る。高校生のころが、女として最強だった。

 

女の価値を、女本体の価値と市場価値によって決まるものとしよう。女本体とは、それの性格であったり能力であるもの。市場価値とは、その女の見た目や年齢、外的に判断できるすべての価値を指すことにする。

 

女本体の価値で考えてみよう。体も皮膚も劣化することなく、モツのようにプリプリ。また「努力すれば報われる」という純粋無垢な精神を持っていたため、精神的に向上心があり、非常に真面目で素直であったと思う。最高じゃん。高校生であったとき、「今死んでもいい」と思うくらい毎日に満足していた。その8年後だかそれくらいに、逃避するために死にたい…と思うことも知らぬ高潔。渋谷西口の路地裏で人の靴をなめて10円もらう生活なんて考えてもいない。

 

次に、市場価値について考えよう。女子高生というものは、女子小学生や女子中学生よりも手が出しやすい。というのは、手を出したところでロリコン!と罵られないギリギリのラインだからだ。さて、女子大生といえば一般的だが、女子高生となるとそうでもない。女子高生と付き合えば「女子高生と付き合ってんの!」と驚きや羨望の眼差しで見られることが多い。ロリコン扱いもされず、さりとて一般的でもない受け入れられる非日常は女子高生である。

 

女本体の価値と市場価値で考えたときに、最高点数をつけるのは女子高生時代だ。

 

女子大生は怠惰の極まり。OLは日々を忙殺させて磨耗した。フリーになってからは存在がひたすら希釈されて、そこあたりに漂うだけとなった。自転車で突き抜けていく女子高生を見るたびに「今のお前たちが最強……!」と思う。

 

よく女子高生で「はぁわたしってブサイクだしもうしのう……」みたいないわゆる病みツイートみてると本当にもったいないと思う。マジレスすると、あなたが経年劣化していって、生まれもったその顔がブサイクからもっとブサイクになったときに、それはどんな選択ができるの。今が最高なの。

 

早々に頂点をとった私たち女は、もっとまざまざと自分の価値を理解したときにはもう、周りにあるもので殴り合いをするしかない。例えばSNSで生活をアピールして承認されて生きて行くしか、付加価値を出して行くしかない。そこからは女の価値の格差が起きていくものだ。女子高生はマダンテ。MPを使い切ったのちに見る地平線では、有象無象がひしめき合う衆合地獄だ。ああ女子高生は最強。女子高生みたいに高いところで綺麗な空気だけ吸って氷になって死にたい。

 

NMB48のみるきーの卒コンみて思ったこと

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

付き合って5年が経った。はじめは勢いで付き合ったような僕たちは流れのままに同棲を始めた。おんぼろアパートだけど、部屋は少し広めの14畳。家賃はそこそこで、2人で暮らしていくには十分だ。同棲を始めた時に頼子が買ってきたガジュマルは隅っこで埃をかぶったまま存在を消している。

 

数年前まで、本当に支えあって生きていた。二人ともそれなりの会社に勤め始め、慣れないスーツに着られながらも満員電車に詰められては、運搬されて出荷されていく。僕は毎日つまらなく苦しい労働をしながら、頭のどこかで頼子のことをいつも思っていた。帰ったら頼子とごはんを食べながら、愚痴の言い合いをしようとか。週末のデートの予定を立てようとか。こんな暮らしが終わりなく、死ぬまで続くことが僕の夢だったのかもしれない。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

ある日「会社辞めてきたから」とクタクタになって帰ってきた僕を見ずに、リビングの向こうから頼子は言った。少し驚いたけど、頼子は前から「会社にいくのやだ」と何回も言っていたし、僕はそれでいいと思った。「そのうち働くから」と言う彼女に「せっかくだからゆっくりしなよ」と声をかけたのは僕だった。その週末、箱根に温泉旅行に行き、小さなお祝いをした。その日から頼子は家にこもり、今までパートも就職活動もしないまま、1年が過ぎた。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

暇を持て余した彼女の過干渉に、僕は飽き飽きしていた。勤務時間中も関係なく、応答セヨと鳴るLINEも電話も怖くて、わざと家に携帯を忘れたりした。疲れて家に帰れば「なにしてた、誰と話した」と詰問され、眠り落ちるその瞬間まで会話しなくてはいけない。数年前まで、心の支えとしていた頼子は僕のなかで。いつからそうなったんだろう。

 

「あたしと仕事どっちが大事なのよ!」

 

僕は玄関で立ったまま頼子が泣きじゃくっているのを見ている。早くこの汗でまみれたスーツを脱いでしまいたい。お前が泣こうが、どうなろうがもうどうでもよくて。明日もあさ早いから、はやくごはん食べてねる準備しなきゃ。

 

「仕事は、しなきゃいけないからね」「なら、私より仕事っていうわけ!?」「きみがそう言うなら、そうなのかな。」

 

というように、無駄に自己評価を下げにいく女っていると思うんですけど、これは誘導尋問みたいなもので結局おまえのほうが大事だよって言葉を引き出して自信を持ちたいだけの打算ですよね。わたし可愛くないから、いやいや可愛いよ、とかそういうやりとりも多分相手が疲れてない限り許されるのかもしんないですけど、世の中だいたいの人が疲れているんで、このやりかたって今に合ってないと思うんですよ。だからね、もう今の世の中、いやもしくは過去から今まで貫いてそうなのかもしれないけど、自信もったおんなのほうがモテるし好かれるし愛されるんじゃないかなって最近NMB48みるきーの卒コン見てて思いました。かわいいは自己研鑽で、つくれる!

 

 

 

おんなの幸せについて考える年齢になった

Facebookを見ると、結婚だの出産だのついでに離婚だの、そういう話題をよく見るようになってきた。

 

大学生のころと比べて、まったく異なるタイムラインになってしまった。昔は競うように旅行の写真とか、「ワシ大学生をエンジョイしてますわ」という写真があがってきていたのに。最近ではもっぱら、結婚だの結婚だのこどもが1歳になりましたとかいっちゃって、人生積み重ねてる感じがすごい。すごいよ本当に。私がニコニコ動画見てる間にきみたち何してるんだ。

 

一方で、「会社そろそろ辞めたいわ」という人も結構出てきた。私が会社やめているからだろうか。「辞めたい」とぽろぽろ話し始めては辛そうにしている。そこで話に出るのは、結婚するのか否かという話だ。

 

就職の逃げ道として結婚をしたい、といえば聞こえは悪いが、労働は楽しくともつらいし、それが結婚という免罪符で逃れられるならば、それも手としてアリだろう。彼氏という伏せカードをオープンにしてしまう時期だ。きみたちには彼氏というエンジェルがいるのだから大いに活用すべしと提言するが「結婚もね〜……、しちゃうと大変だし」と言う。煮えきれない! いいか、逃げるやつは腹をくくって逃げろ!

 

「結婚が大変」というワードは「ガルパンはいいぞ」というワードと少なからず共通項がある。資金面や遊び面、こども作ると面倒など、いろんな懸念材料があるが正直それは経験してみないとわからん話だ。現実味がなく、また自分の意見ではない。世の中の一部の意見を切り取って我が物にして発言していることが多い。ガルパンもそうだ。様々なオタからの意見をとって、総括して「ガルパンはいいぞ」と言っている様は「結婚は大変」に通じるほど、軽くてふわふわしている。

 

女に生まれし者は一度は通っているだろう。女の話は、空気に漂うほこりを食べる様に、雰囲気として漂うものだ。話の四肢は空気中で霞となって消えたり、時にうかんだりする。スタンドよろしく漂う話のかけらを、オラオラオラと殴りつけることでコミュニケーションをとる我々だが、話の根幹ではどこか迷いがある。

 

26歳になる我々だ。結婚して労働から逃げ切りゴールか、労働に勤しみ一人で死ぬゴールか、もしくは結婚しつつも労働にも邁進するゴールか。そろそろ自分の墓場のことを考える時期になってきた。

 

おんなの幸せとは個人の絶対評価ではなく、社会と比較した相対評価だ。彼女たちが自分の幸せを選ぶのではなく、選ばされている。そのため、彼女たちの周囲の状況に依って、最適とされる「幸せ」を選びがちだ。

 

幸せという言葉は、呪いでもある。幸せ、という言葉の存在から、「幸せ」にならねばならぬという意識が生じる。「幸せ」は国で定義されているものでもないから、先人たちが幸せと形容したものこそ「幸せ」だと認識している。26歳になって、これから先の人生を見たときに、なにをすれば幸せになれるのか選ぶ岐路についているのだ。

 

なにを選ぶか、その選択をする前に、なにが幸せかを定義しよう。恥ずかしながら私の場合は、年収400万円で毎月5万円貯金できる定職があることが幸せだ。結婚なんかしたくない。お金と漫画とインターネット、時々お酒があれば幸せだ。

 

 

10年ぶりに腐女子界を見たババアの感想

10年前のインターネットではpixivという便利なものは無かった。

 

10年前の流行ジャンルはテニプリだったと思う。当時はまさかテニミュが成功して、ここまで息の長いコンテンツになるとは思わなかった。当時の私は、「〜同盟」や「〜サーチエンジン」といったリンク集をひたすら漁って検索するしかなく、インターネットを夜明け前まですることも多かった。他にも周辺の友人からサイトを教えてもらう、なんてこともザラ。インターネット上に広まった情報を見るのではなく、インターネットのどこかに落ち込んでしまった情報の金鉱を掘り当てるように、時間をかけて検索して検索して情報収集していた。

 

くそむかつくことに10年前のインターネットでは、topからコンテンツに入るページを隠すという、UI無視なオレオレUIが横行していた。tabキーをクリックしまくって、クリックできる部分は無いか必死に探させるという鬼畜の所業。過去の腐女子のインターネットとは、作者(腐女子)が圧倒的優位であり、作者の自己表現の名を借りた二次創作を崇高な眼差しで見守るしかなかった。オレオレUIであろうがオレオレコンテンツであろうが、それをバッシングするなんて考えられない。というのも、他人様のページに無断であがらせていただいている、拝見しているという感じが非常に強かったからだ。

 

10年前には謎の「ネチケット」というインターネット上でのマナーを切々と説いたページが存在していた。topで読まされることが多く、わかったやつだけページに入っていいというページ構成だ。作者様〜と崇める風潮はここから起こっていると思う。

 

さて、そんな石器時代で止まっている私は無職を機に、インターネットを本気で楽しみ始めた。そこでpixivにぶちあたる。pixivは成功したインターネットサービスとしか見ておらず、実際にpixiv上でコンテンツを作っている・読んでいる腐女子カルチャーからは、とんと離れていたのだ。

 

pixivを最初webから見ていたが、その読みにくさやめんどくささからアプリを落とす。ここで沼にはまってしまったのだ。過去に朝までインターネットしていた中学生が大人になってそれを止められるかと言えば否、アプリなんぞ落としたら隙間隙間の時間をぬってでも読み始めてしまった。だっておもしろいんだもん!

 

pixivにて10年ぶりに腐女子界を見て衝撃を受けた。

 

それは作者がpixiv内で評価されるカルチャーである。今まで絶対的神であったものがイベント以外でも常に評価される、という文化に変わっていた。また、漫画や小説の最後に「アンケート」をつけて、書籍化するか否かを判断するというのも見た。なんと合理的なんだ!他にも、作品ごとにコメントをつけられ、「通販してください!」など書けば作者が通販をしてくれるという双方向性のコミュニケーションが見られた。あんなに自分のコンテンツを見せたがらなかった腐女子どもが、今や自分から見てもらう場に、評価される場に作品を公開し、自分から「本にしてもいいかな?」と聞いてくる始末。ババアにとっては相当のカルチャーショックでした。

 

また10年前のサーチエンジンでは検索しきれなかった検索も可能になっている。作品ごとにつけられたタグをたどっていくことで、類似した作品を読める。キーワードを入れて検索するよりも楽だし、類似性・親和性の高い作品を読めることで検索に関して非常に満足度が高い。現代っ子てこんな便利な世界でいるんだ……と愕然とした。25歳のババアは本気で膝をワナワナさせた。

 

他にもババアにとって「尊い…」だとか「振り込まさせてください!」というコメントは非常に若く、甘酸っぱくて第二の青春を感じさせるものがある。「あなたが神か」等のコメントがおそらく脊髄反射で出ているのだろうが、あれはおそらく「かわいい」レベルの反射動作。現代の腐女子の感嘆が「尊い…」「あなたが神か」であることをババアは学んだ。神聖な存在に対して「通販してください!」と言える感覚はババアには無かったので、その言葉の軽薄さに「おお……」となることは多かった。

 

過去のインターネットがいいとは、ちっとも思わない。過去になっても今になっても、腐女子たちは彼女たちなりのルールがいまだにあり、それを守っている。その謎のルールで不特定多数を縛るこの文化はこれからも続いていくんだろう。尊い……。

インターネットメディア大好きっ子が気になる本たち

Amazonセールやってる1!!!

 

と、なにか買いたくなるもの。

だからと言って浪費もしたくないので勉強できるものがほしいです。

気になる資格もないので、最近気になっている「インターネットのメディア」について勉強したい。

 

そんな感じで相談したらば有識者から「読んでみては?」とおすすめされた本をご紹介します。

 

 

この他、最近のインターネットメディアはどうなってるの?これからどうなるの?とかの疑問を解決してくれそうな本があればぜひぜひご紹介ください。

 

Amazonのセールが終わるまでに!!!!!!!

 

\これ多くない?/

 \醤油ですこんにちは!/

 

 \気づいちゃったんですけど!/

 

 \最近こういう形式の広告多くないですか?/

 

 \このパッカーンていうバカみたいなやつです/

 \昔は/ \こういうのおにぎりワッショーイでしか/ 

\使わなかったのに/\なんだかおしゃれに使われてませんか?/

 \ぱっかーん!/

 

 \これあればなんでも言えそうだな/

 \そんな気楽な気持ちにさせてくれませんか?/

 \この存在があるだけで、どれだけライトに見えるか/

 \試してみましょう!/

 

 \そ〜れっ!/

 

 \ \ \ 下流老人まっしぐら! 

 

 

 

 

 

モンストしながら痩せたくはないかね?

ゲームばっかりしてたるんだ生活をしているみなさまこんにちは!モンストことモンスターストライクを遊んだことはありますか?

モンストは今や小学生から管理職まで幅広い年齢層に愛されるゲームとなりました。現在絶賛マルチされまくりの聖闘士星矢とのコラボも好評のようです。

さて、以前のブログでも述べたようにモンストでは同じモンスターを99体集める悪魔の儀式があるのですが、これを効率良くおこなうにはマルチと呼ばれる方法で集めるべきとされています。

マルチとは多人数(最高4人)が集まり同じクエストをおこなう形式です。友達が極端に少ないみなさまご安心ください!今やマルチ専用の掲示板があり、そこから同じクエストができるようになっています。

マルチをやる間は暇


暇なんですよ。なんせ自分のターンになるまで他人が遊んでるところ見守るだけですから暇!

その時間をいかして、たるんだ体を引き締めようと考えました。その方法とは

マルチで暇な間、腕立て伏せする


まず、腕の間にスマホを持ってきます。

そして他の人のターン時に腕立て伏せをします。なぜ腕立て伏せかというと、他人のプレイ中もアイテムが出たり、そもそもどんな動きをするのか気になる興味を効果的に利用できるからです。

興味と腕立て伏せの動きの循環を説明します。

腕の間にスマホを置いて腕を伸ばし、腕立て伏せの準備をする→他人のプレイと言えど気になるから画面を見たくなる→強制的に画面を顔に近づける→ここで所謂腕立て伏せのポージングになる→体勢が辛いから腕を伸ばす→まだ他人のプレイ気になるから腕を曲げて顔をスマホに近づける……。わかりますね?ゲームへの依存性を巧みに利用しているのです!

続けられるの?


続けられます!

何故なら、モンストは運極を作り続けるゲームであるためにマルチから脱することはできないからです。

穴に嵌ってしまっては、そこから抜け出すことができません。面白いゲームの依存性は人の理性を超えている。そう、本能のままにゲームをやるしかないんですよ。

ではせめてでも。せめてこの穴から自分を良くする努力をしてみたくはありませんか?

ちなみにやってみた結果ですがここ3日ほどで2キロ落ち、カミュが運極になりました。次はシャカ運極頑張るので多分また2キロ痩せてまたみなさまにお会いできると思います。では!